個人的に振り返るためにしか過ぎないブログ

見たとしてもだれも得しません

2019年3月28日(木)の出来事

オトンと食事とカラオケ。

基本僕はギバーなんだろう、オトンが楽しそうならそれはそれで嬉しいし、これからも尊敬するオトンのために一緒にいる時間がほしい。

 

最近の悟り

・自分の運命の主人は自分自身である。
・↑よって人に言われて動く人生は自分自身ではないぶん責任は持たなくていいように思える。
・↑だがそれが大いに間違いで自分の人生を人の責任にするくらいなら自分の好きな生き方をしたほうがはるかに良い。
・人生はクソという人は自分の人生を他人のせいにしている。
・人生は素晴らしいという人は自分の人生を自分の責任にできている。
・成長があるのは自責的な人。

 

某5ch.netまとめブログで書いたことだけど、最近の僕の悟りがこれ。

今更感が半端ないけど、ここまで到達するのに40年もかかった。

家庭や社会などの環境ですぐにそこに到達する人もいれば、100年経っても理解できない人もいるのだろう、僕は40年を要したけど、やっとこの事実にたどり着けてよかったと思う。

 

母について4

エホバの証人ブログにも書いたが、オトンの話によると母はもうボケているとのこと、実際会ったオトンの心情を察すると辛いものを感じる。でも母のことは大嫌いだ。

 

母がオトンの家のルールを作り、荒らし、砕いていった。

そして先日兄や弟にも会ったが、母のマインドコントロールは顕在で人を批評する人間にさせられている。母がこんなクズな人間だったせいで他人を批評する残念な人間になってしまっている(だが、兄および弟に関しては嫌悪の対象ではない。母が唯一の嫌悪の対象だ。彼らは「被害者」だからだ)。

 

「生んでくれてクソくらえ。生き方を抑制しやがってファックだぜ。生まれたいって言ったか?」。幼少期、これをよく思っていた。ちなみに自殺未遂は小学校1年の頃だ。死ねなかったから余計に辛かったのを覚えている。

 

僕はただ単に愛せる母親が欲しかった。強制しない、慈愛に満ちた母親が。でも本当に自愛に満ちていたのは母親ではなく、母が嫌っていたオトンだった。

今の僕はオトンが好きだ。オトンが一番頑張って僕たちを本当に育ててくれた。優しさに満ちていて、朗らかで、それでいて芯が強い。僕はオトンみたいになりたかった。でもなれない。なろうとは思うけど、オトンみたいになるには数十年以上かかるだろう。

僕はオトンの優しさのもと、強さのもと頑張れる体質になっている。